先週、ペコちゃんの人形を買うため、銀座へ行きました。この28CMの人形は、全国限定2万個、各店舗はかなり少ない数で販売してました。恐ろしいくらい、銀座店は20個がありまして、発売翌日もう売れきりました。私は当日に2個買ったけど、翌日また買いに行ったらもうない。その日、ポイントカードをもらったとき、店員さんはちょっと寂しい声で:「銀座店は8月末まで、、」と言いました。へ!そんな!いつも銀座へ行ったら見える、食べれる不二家の店、これからはなくなるということ?それはとてもさびしいことです。
そういえば、2階のレストランもうすでに営業停止だし、1階の店舗が閉店になるのはおかしくないことかもしれません、、。しかし、嫌ですね。私が大好きなペコちゃんの店、特にこの銀座店、いろいろな思い出があるのに、、。よく日本の友達から聞いたけど、ペコちゃんのことに聞いたら、すぐ杏子さんのことを連想しました。「杏子さん=ぺこちゃん」というイメージを持ってる友人が多いらしいです。何時からかな?私はペコちゃんのグッズを収集し始めました。以来、ペコのものに目がない。しかし、ペコちゃんと似てると言われて、恥ずかしながら受けましたが、ペコちゃんのこと、そんなに詳しくないですよ、反省。ペコグッズに投資するの基金もあまりないし、今もってるペコちゃんグッズの数は「すごいね」というほどじゃないと思いますが、ペコに対する感情は、他人に負けない自信があります。
昨年、生産管理の問題で、不二家は一時期営業や商品の販売が止めました。そのとき、私と同じペコちゃんが好きな人々、「はやく販売、営業再開してほしい」ということを、何時でも心の中に祈りました。やっと、少しずつ、ペコちゃんの食べ物はまた復活しました。まず、飯田橋のペコちゃん人形焼からですな、そして、ケーキ、それから新商品メロンパンなど。今年初めて東京でメロンパンを食べたとき、感動しました。甘いメロンの香りが、口の中、心の中に広がりました。この甘い感じ、まるでペコちゃんのかわいい笑顔みたいです。
幸い、ネットショップのペコちゃんグッズはまた販売し続いています。今日不二家のサイトで見ました。明日30日から、ネットでペコちゃんの新年やクリスマスのグッズを発売し始めます。わ、これは本当にうれしい情報ですね。来年、はかまを着てるかわいいペコちゃんと一緒に正月を向けることを想像するたけ、、うん、何か楽しいですね。
ちなみにの話・・・・・・・・・・・・・・
おとといの夜、成田空港から池袋へ行く前に、日暮里によりました。地図を見たら、本来商店街にある9軒の駄菓子屋さんは、いま3、4軒しか残ってなかったそうです。新宿や六本木によく見える風景のように、高層ビルは駅前に建ている景色は、完全に日暮里の下町雰囲気を壊ししてしまいました。日暮里もう日暮里じゃないです。
「何で変わるの?昔のままでよかったのに、、。」私が言った。
友人は:「さあー」。
やはり時代とともに、商売のやりかたや生活環境の建設も変わります。けど、これでいいかな?もし、将来の日本は、香港や、ニューヨークと一緒に、街は全部高層化になったら、旅行の意味や楽しさもなくなるじゃないかな、と私が思いました。もし浅草がなくなったら、観光客は泣くでしょ?
日本は日本のままがいいと思いますけど。何時まで保存できるかしら?
古いものはすばらしいものです。
本当にそう思う。
サイトでね、私の本について、ある読者はこう書きました。
「この作者今まで出した本の共通点は。ほとんど新しいところを紹介してないこと、すべて、テレビ番組や雑誌が取材したところばかり、初心者にとってはいいかもしれませんが、台湾へ何度も行った人には、お勧めしません。情報としてはいらない内容です」。
最初このコメントを見た瞬間、かなり落ち込んでた。もしかし、いままで私がやったことは大きく間違ってるということで?ずっと頭の中に、このせりふが繰り返して悩んでた。でも、今回一ヶ月東京に滞在して、いろいろを見て、つい昨日に、私の考え方が変わりました。
確かにこの人が言ってることは正しいです。けど、新名所を紹介するより、古いものがすきの私は、伝統なものを皆さんに紹介したいという気持ちのほうが強いです。いまでもそうます。私は、最近出来た、話題になった新名所、六本木とか、汐留とか、という所は、正直と言うと、ぜんぜん興味がないです。どこへ行っても、高層ビルやショッピングセンターばかり、超現代化の建物は冷たい感じをくれましたからです。もし、外国行っても、こうゆうものを見たいなら、別に東京でも見れるもの、あまり旅行する意味がないと思いましたけど。台湾が好きな皆さん、ちょっと考えてみて、もし何時か台湾の下町や夜市は全部なくなって、高層ビルばかりの景色になったら、また遊びしに行きたいの?多分、いまほど興味がないでしょう。
自分の国と違う文化を触れることは、旅行の面白い所です。
だから、もっと古いものを愛するべきだ。
ガイドブックに紹介した新情報はもちろん雑誌やインタネットの更新スピードに追いかけられないはず。なので、私はこれから、誰でもかける、取材できる記事をしないことにしました。
古いものがなくなる途端に、心が寂しくなる。
外国人として、現在日本の都市建設の変化について、私は寂しいなぁと、思うのです。
そりゃあそんなことを云われりゃあヘコみますわなぁ。(笑)
最近、丸谷才一さんと山崎正和さんの対談本『日本の町』を読み返してみたのですが、東京には皇居がある。皇居には武蔵野の原生林と田んぼがある。つまりは縄文時代と弥生時代がある、とありました。
一方、韓国人の呉善花さんが以前お書きになっていましたが、東京は面白い、と。なぜなら、たとえば新宿。超近代的な高層ビルの立ち並ぶそのすぐそばに古めかしい神社のお社(やしろ)がある、と。
丸谷・山崎両氏も呉さんも、古代から現代にかけてのいろんな文物が重層的に、或は多層的に重なり合っているのが今の東京の姿だというのですね。
そのまた一方で、東京オリンピック以降の東京は破壊に次ぐ破壊の上に成り立っている。どうもその辺りの整合性が個人的には分からずに居るのですが、グローバルな流れの中でいかに日本的と云えるようなローカルなもの、杏子さんのおっしゃる「古いもの」を残して行けるかは今の日本の抱える大きな問題のひとつかも知れませんね。
う~ん、ほんとどうすりゃいいのだろう?ひとつには「伝統的なものを紹介する」杏子さんの働きなんでしょうけど、ただね、日本には外から新奇なものを取り入れては咀嚼(そしゃく)し古いものと巧く共存させてきた実績があるようなので、余り気にせずとも長い目でみれば、案外「古いもの」は残っていくのかな、という気もしています。
長々と失礼しました。(笑)
確かに日本に古いものや現代もの共存していると思います。台湾もそう、香港も同じです。ただ、その町の雰囲気に合わせて新しい建設をしないと、その町の味はなくなるはず。その昔の味がなくなるところは非常に残念なところだと思います。京都や奈良、よく古跡を大切に保存してます。だから観光客は京都が好きです。何故かと言うと、そこへ行けば、日本らしい風景を見えるからです。まあ、これはただ私個人の感想だけ。
今日もですね、あるブロガーさんの、沖縄のマックスバリューでいろいろとお土産を買ってみた(安い!)、という記事を読んで、なるほど、本土の大手ショッピングセンターが沖縄で幅をきかせつつあるとなると、本当に現に沖縄の「本土並み」化は進み、なにか沖縄に固有な「味」は失われつつあるのね、ということが分かり、「それじゃあつまらないよなぁ」(多様性の中にこそ創造の源泉があるのに)との感想を持ちました。
杏子さんのおっしゃる通りなのかも知れませんね。人為的に意識的に「古き良きもの」や何か「その町の味」を残すべく振舞って行かないことには、どこもかしこものっぺらぼうの同じ風景になっちゃって、すると旅する気力すら湧かなくなるかも知れませんね。
僕もなにかできないか考えてみることにします。