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記憶中の思い出場所

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最近友達と話していて、みんなと意見が一致するのは、現代の都市の風景は変化が速すぎるということです。

子どもの頃の記憶はもちろんですが、数年前に行ったばかりの店や、写真に撮ったばかりの景色が、もうなくなっているということもあります。本当に寂しい気持ちになります。私は、新たな開発は破壊と同じであるとずっと思ってきました。しかしこれは、矛盾を含んだ、答えのない問題でもあります。破壊や取り壊しがなければ、新しいものを作ることはできないのですから。でも、古いものはすべてだめなのでしょうか?長い歳月を経てきた建築物は、存在し続けてはいけないのでしょうか?

私は昔風の街がとても好きで、老舗はもっと好きです。そして昔の友達も。私のある友達は、日本に行くと同じ場所に行き、同じ店で食事をし、同じお土産を買ってくるのが好きだそうです。毎回行程が同じでは新鮮味がないように思われますが、彼女はこうしたお馴染みの安心感が好きなのだそうです。こういう考えにも説得力がありますね。

新しい場所に行けばわくわくしますが、よく知らない場所なのでちょっと不安にもなります。でも、なじみの場所に行けば、親しみがあるのでリラックスできます。記憶とはとても不思議なものです。頭や舌に記憶があるだけでなく、人の身体もよく行く場所への移動ルートをある程度記憶しているのだそうですが、みなさんは信じられますか?

例えば、ある駅を出てまっすぐ歩き、二番目の信号で右に曲がったところによく行くパン屋があるとします。二、三回行った後では、そこに行くと考えなくても身体が自然に反応して行動するようになるのだそうです。

もっと簡単な例を挙げれば、毎日通勤や通学で使うルートや、目に見える風景や、バスや電車の放送まで、とてもよく覚えているでしょう?でもある日、あるはずだったラーメン屋やスーパーや本屋が忽然と消えてしまって、他の店になっていたら、何か落ち着かない感じがするはずです。私は想像してみました。もしいつか東京に行って、東京タワーや、浅草寺の雷門の大提灯や、お台場のレインボーブリッジや、銀座の和光の時計台がなくなっていたら……、その東京は、もう東京ではありませんね。

五月に私は、札幌の羊ヶ丘展望台を再訪しました。「好きです」と書かれた丸い看板や、青空の下で緑の草をはむ羊たちを見た時、五年前にここを取材した時の様々なできごとが突然心に浮かんできました。

私にとって東京ディズニーリゾートは、初めて日本に行って、初めて日本人と日本語で話した場所だったし、葛西臨海公園は、初めて日本語学校のクラスメートたちと校外学習で出かけた場所だったし、原宿の竹下通りは、初めてプリクラを撮った場所だったし、北海道の大通公園は、友達と一緒に雪まつりを鑑賞した場所だったし、東京の人形町は、母と一緒に人形焼を買った場所だったし、それから、それから……。

これらは記憶の中で、思い出を残した場所になっているのです。私は、それらが永遠に存在することを願っています。みなさんにとって、思い出の場所はどんなところですか?

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< ★ この文章は東京流行通訊 2012年9月7日 第34号(通巻第328号)より ★  > 

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